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クローズアップ藝大 - 第二十回 毛利嘉孝 大学院国際芸術創造研究科教授/未来創造継承センター長

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第二十回 毛利嘉孝 大学院国際芸術創造研究科教授/未来創造継承センター長

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アートと政治の新しい関係

国谷

世界はどんどん変わってきているし、アートとか文化の位置づけも変わってきていますが、これまで書かれた著作などを拝見すると毛利先生は一貫して、アートと文化が持っている可能性にとても期待されていると感じます。中でも文化と社会変革の関わりに強い関心を寄せているのは、先生のどういう思いがあるのでしょう。

毛利

背景は、自分のキャリアとも関係していると思います。京都大学に通っていたのは80年代前半でした。でも、京都大学は(絶滅した生物が残っている)「ガラパゴス」と言われて、昔の学生運動の名残がギリギリあったんですね。一方で、才能は全くなかったけれども、自分でバンドをやってみたり創作活動にも興味がありました。けれども、その政治とポップカルチャーが自分の中で一致しなかったんですよ。政治運動をやっている人たちは政治にしか興味がなくて、バンドやっている人たちも音楽にしか関心がないみたいなタイプだと思っていた。

でも2000年ぐらいになって、あらためて昔の友人とか同世代で近い仕事をしている人たちと会ったら、みんな僕みたいな感じなんですよ。政治にも、音楽とか現代美術にも、現代思想とか哲学とか社会学にも興味がある。そんな僕みたいな人がこの世代には実は結構いたんだというのを事後的に発見する。それが最初に出版した本『文化=政治」を書いたモチベーションだったし、自分探しと言ったらアレですけど、自分をどう位置づけるかみたいなことなんです。

「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」(2024年6月14日~16日)ポスター

 

今度陳列館で、「不和のアート」というアートと民主主義、政治をテーマにした展覧会を僕の研究室と清水知子先生の研究室の合同で学生たちと企画しているんですけれども、この時世なので当然パレスチナ関連の展示が多い。パレスチナ問題というのは、1970年代の日本赤軍事件などもあって、ある世代までは今でもテロとか過激派とかと結びつけてしまっている。でも、今のパレスチナ支援の運動に実際に参加している人は、そういう昔の中東に関わる過激派に対する意識とか、テロリズムに対する記憶がほとんどないんです。参加者も、いわゆる「左翼」活動家ではなく、外国人と20代から30代くらいのアーティストが多い。だから、市民運動ですらないんですよね。

上野の国立西洋美術館でも先日、アーティストによる抗議運動がありました。おそらく彼女たちは、上の世代の左翼運動とはほとんど接点もないし、マルクスも読んでないと思う。別に読んでなくてもいいんです。でも、そういう人たちが今のパレスチナの問題について何かしたいと思って抗議運動をやる。上の世代から見ると、最近の若いアーティストがなぜこんなに政治的になっているのかわからないと言われます。はっきりと世代的な断絶が生まれているようです。その理由のひとつはグローバル化だと思います。やっぱり海外でアーティストとして活動している人が増えてきている。それから留学生たち。彼ら、彼女たちは母国での状況を受けて日本でも行動を起こしているようです。もちろん運動としては海外に比べて非常に小さいかもしれません。でも、そういう人が中心になってこれからの藝大や日本の社会をつくっていくのではないでしょうか。

もちろん、僕の見方がかなり偏っているような気がしなくもないけれども、こういった動きについてもう少し伝えていきたいし、面白い動きだと思っています。

国谷

欧米では政治とアートと文化が綿々とつながっていて、例えばポピュラー音楽の分野でもテイラー?スウィフトさんがアメリカ大統領選挙についてどのようなコメントをするか、非常に注目されています。一方で日本の場合は文化?芸術と政治はつながってはいけないような、政治的な発言はタブーだというような空気があります。

日本でフォークソングが一世を風靡した60年代は、政治的なメッセージも込められていましたが、それ以降はずっと音楽の世界では政治的な要素は希薄に思えます。なぜ日本は欧米と違って、60年代のトレンドが継続しなかったのでしょうか。

毛利

これはいろいろな理由があると思うんですが、やはりメディアの問題が大きかったのではないでしょうか。新聞とかテレビが積極的にきちんと取り上げようとしなかった。新聞に関して言うと、1960年代末の学生運動のときのダメージが大きい。最初は肯定的にとらえていたのに、ある時期からはっきりと新聞は、テレビと一緒に学生の政治運動を鎮静化する方向へと動いてしまった。さらに、連合赤軍などの事件をきっかけにあらゆる若者たちの政治運動を安易に過激派に結びつけてしまった。今から見ると学生運動も多様で、全部が全部そうではなかったと思います。いろいろな運動があったのにメディアの中でちゃんと扱われず、政治的なことに関わると結局人生において得をしないみたいなイメージが広められた。マスメディアのある種のシニシズムみたいなものが若者を政治から遠ざけたと思います。この構図は今でも変わってませんよね。

実は日本は法律的にも問題がたくさんあって、デモで逮捕されると拘束期間が長く、社会的な制裁や経済的なダメージが大きいとか、いろいろな規制があってデモにも参加しにくい仕組みになっています。欧米に比べても、日常的に人々が政治に関わることができない制度になっていると思います。

ボトムアップ型の社会運動

国谷

毛利先生が20年以上前にお書きになった著書の、アメリカのイラク攻撃のテレビニュースを日本の視聴者がどう受けとめてきたかという論考の中で、政治的なものが日常生活や会話の中から知らず知らずのうちに排斥されていると書かれていました。それが最終的には政治に対する無力感とも結びついていると。

私も環境の問題とかSDGsの啓発活動をしていますが、やはりなかなか広がっていかないと感じています。日本の若者は世界の若者に比べて、そういったことを話題にしない人の割合が非常に高い。意識高い系だと見なされて排斥されるとか、嫌われてしまうんじゃないかという恐れから、話題にもしない。話題にしないから関心も広がらない、そういう悪循環に陥っています。

20年前と何も変わっていないのかなと思いますが、その一方で、先ほどおっしゃったように、最近は変わってきていると。

毛利

ゆっくりですけれども変わってきていると思います。もうちょっと長いスパンで言うと、僕は80年代に学生時代を過ごしバブルの時代に広告代理店に入った。その頃は政治のことをしゃべる機会もなかったし、しゃべるとみんなに引かれるという経験を実際にしたわけです。

政治的なものが一切消えてしまった消費社会の80年代から比べると、40年以上経って随分変わったなと思っています。「若い人は政治に興味がない」というステレオタイプなレッテルは今でもずっと貼られ続けていますが、実際に見ていると自分の若い頃よりは若者たちは政治について話しているし、デモにも参加するし、特に大学院の授業でパレスチナ問題を扱うと本気で怒りや憤りを表明する学生も少なくありません。「日本ってこんな感じだったっけ?」と思うぐらい変わってきている実感があります。これも藝大だからとか、さっき言ったように就活しないような学生だからというのはあるかもしれない。

もちろん、全く政治に興味のない学生もいます。そこは二極化している。若い人はすごく多様だから、日本の若者とひとくくりに言えなくなっています。同調圧力は依然として強いし、例えば入社式に全員が同じような紺かグレーのリクルートスーツを着て行くような傾向は、ますます強くなっているとも言える。けれども、少なくとも藝大では誰も同じ服なんか着て来ないですよね。だから、過剰に若者を一般化せずに、どこをどう見るかだと思いますけれども、できるだけ肯定的に可能性の方をピックアップしたいというのはあります。

国谷

毛利先生が書かれてきた著作にもそういう期待感がたびたび出ています。

毛利

若い人に期待せず、「昔がよかった」みたいなことを言うのが一番よくない。団塊の世代のように「我々は昔学生運動で頑張った」とか言うから下の世代が萎縮するのだと思う。僕は今ある面白いものを探したいんです。

例えばフリーターが出てきた90年代終わりから2000年頃、当時は「フリーターみたいな生活は若いからできるんだ」と言われていたけれど、20年、30年経ってみたら、50代になっても20代と同じことをやっている人もいる。むしろここまで20年生き延びた世代は、これからもずっと同じことをやるでしょうね。フリーターを可能にしているこういう流動的な社会というのは、過酷な資本主義だし苦しいんだけれども、逆に言うと、そういう過酷な中でも生活ができるような社会をつくってきたんですよね。

国谷

確かにそうですね。

毛利

フリーターが全て不幸かというと、企業で働き過ぎて壊れてしまう人たちよりは、なんか楽しそうだったりもする。もちろん企業も楽しいかもしれない。わからないけれども、でも価値観がすごく多様化してきています。多様な価値観が広がっていることを考えると、さっき言った20年前よりもよくなっている。フリーターは確かに裕福ではないし、負け組に見えるかもしれないけれども、ある意味では豊かな生活をする人々が増えているともいえる。最近だとコロナ禍もあって、地方に移住したり、ますます違うライフスタイルが出てきて、決して全てが悪くはなっていない。もちろん局地的に見ると、都市の若者の生活は厳しくなっているけれど、同時に違うオプションもある。むしろそういうオルタナティブな生き方があることを、むしろ企業や資本家の側はどうも知らせないようにしているんじゃないかと感じます。人材として企業に回収していかないと明らかに労働力も足りないし。でも、企業に回収されなくても生きていく方法はある。

「藝大を出ても食べられないよ」みたいなことがしばしば言われます。実際にアートだけで食べられていない人は少なくないと思いますが、藝大の横のつながりとか、アーティストのネットワークでいろいろな生き方を発見している人も多いと思います。社会としてそこをちょっと支援してあげるような仕組みとか、あるいは藝大としても、アーティストして活